2015-07-09 第189回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第5号
同センターは、昨年九月から建設工事が始まったとのことで、施設は研究管理棟と試験棟から構成され、研究管理棟にはバーチャルリアリティーシステムやロボットシミュレーター等を設置し、試験棟では、原子炉格納容器下部の模擬体や水槽、階段等を設置し、実証実験を行うとのことでした。平成二十七年度中に一部運用を開始することを目指して工事が進められていました。
同センターは、昨年九月から建設工事が始まったとのことで、施設は研究管理棟と試験棟から構成され、研究管理棟にはバーチャルリアリティーシステムやロボットシミュレーター等を設置し、試験棟では、原子炉格納容器下部の模擬体や水槽、階段等を設置し、実証実験を行うとのことでした。平成二十七年度中に一部運用を開始することを目指して工事が進められていました。
同センターは、東京電力福島第一原子力発電所の廃止措置に向けた研究開発を加速するため、原子炉格納容器下部の冷却水漏えい箇所の補修・止水技術の実証試験や災害対応ロボット等に関する技術基盤確立のための開発実証試験などを行うものであり、平成二十八年三月の試験棟完成を目指し建設が進められています。
本年四月には世界最高水準の大型水素容器試験棟が開設され、水素ステーション用など大型の水素貯蔵容器も試験が可能となっており、今後、企業の参入や水素ステーション設置コストの低減などの成果が期待されるところであります。 次に、福岡市内において九州大学伊都キャンパス内の燃料電池関連研究施設を訪問いたしました。
現にこのRETFは、一部機械器具が納入されて試験棟が建設着手しているんですが、平成十二年の七月以降建設を中断している。つまり、十年以上建設していないということでありまして、これまでに、検査院の報告によりますと、六十三年度以降の建設費として八百十六億円だ、維持管理費合わせると八百三十億円にもなる。
○大島九州男君 相当の費用を掛けているんですが、これは中川副大臣、科学技術の関係でいうと、文科省はモックアップの試験棟維持費、東海村にある、そこの維持費や溶融炉の開発費にお金を出しているわけですが、私自身が疑問に思ったのは、この東海でやっている部分はうまくいっているけれども、六ケ所村では駄目なんだと。
また、運転管理専門官による巡視につきましては、ジェー・シー・オーについて毎月一回程度の巡視が実施されていたわけでございますが、事故を起こした転換試験棟につきましては、運転が不定期でかつ巡視の機会が少なかったことから、これらの巡視の際には施設が運転されていなかったことがございます。
例えば、この事前調査報告書では、建物内部の表面汚染について、施設P、この施設Pというのはこの研究所で核燃料の試験棟として八八年まで使われていたものですが、この施設P内部の表面汚染による線量率はマックス百二十マイクロシーベルト・パー・アワーあるいは二十三マイクロシーベルト・パー・アワーとあります。
その結果によりますと、ジェー・シー・オーの転換試験棟の三百五十メートル以内のところは避難をしておられたわけでございますが、それの外側の屋外におきましては、その線量が一・二ミリシーベルトと極めて低いものであった、それより遠いところはなおさら低いということであったと。
またその後、運転管理専門官という制度ができて、そういう専門官が何度か入りましたが、運転試験棟といいましたか、あそこの事故が起きたところには、休みだったりして、結局入っていない。この違法作業を見抜けなかったということも一つの責任だと思います。 そして三番目には、事故が起きた後の初動体制のおくれ。
もちろん、臨界が起きたときに、転換試験棟といいましたか、あの中にいた三名のうち二名亡くなっているわけですが、ただ、ジェー・シー・オーの事業所内にはかなりの数の方もいました。また、その後、臨界を終息させるために、水抜き作業を行う決死隊の方がかなり臨界の試験棟の中に入って、水抜き作業をやって臨界終息に向けての作業を行った。
あるいは運転管理専門官等が調査に入ったときに、転換試験棟の調査、検査も休業中に行っていて、そこは見ていなかった。こういうことの中で、危険な違法作業を見抜くことができなかった。
それで、この前のジェー・シー・オーの、転換試験棟ですか、あそこが休みだったということで、その後、転換試験棟には何回行ったのか、あるいは転換試験棟でのさまざまな機器についてはどういうふうに把握していたのかとかいうことを、すべて科技庁の方は後からその専門官から意見を聴取して集めたと思うのです。
○松沢委員 これはちょっと確認したいのですけれども、転換試験棟というのは操業はしていなかったのはわかります。ただ、中には入っているのですか、運転管理専門官は。操業していないというのを聞いて、ああそう、では、そこはやめておこう、みんなこうやって省略しているのですか。大変な問題ですよ、ここは。
そのうちの転換試験棟につきましては、平成十年の四月十六日、九月三日、それから十一年の三月四日の三回、巡視を実施してきております。しかし、運転中ではなかったということでございました。 この運転管理専門官の業務は、保安規定の遵守状況について調査するとともに、施設の運転及び管理の状況等を的確に把握して、その内容を本庁に連絡することとされております。
○間宮政府参考人 先ほど申し上げましたように、三回、この試験棟に行っておりますが、その都度入っております。
○畠山委員 保安規定遵守状況調査からすれば、八四年から九二年まで行われた八回の調査、問題の転換試験棟に関しては、運転中の調査は一回のみで、しかもそれは立ち入って行っておらず、あとは停止中であったとされております。さらに、九八年、九九年にかけて十四回行われた運転管理専門官による巡視は、巡視時に作業が行われていなかったことが一回、巡視したが停止中が二回、巡視せずが十一回となっております。
行政庁といたしまして、今回臨界事故を起こしたこのジェー・シー・オーの転換試験棟につきましては、昭和五十九年六月の変更許可申請以降、原子炉等規制法に基づく審査、施設検査などを通じて厳格な安全規制を行ってきたところでございます。
高濃度ウランの加工施設、すなわちジェー・シー・オーの転換試験棟であります。そこに、設置の許可のときの安全審査の話ですが、一般ウラン加工施設の指針を適用してしまった。これが、今回の事故で臨界があるという判断にはならなかった。
○松沢委員 長官、関連して伺いますけれども、ジェー・シー・オーの事故があった現場に、大内さん以外にもお二人、まあ三人の方が、転換試験棟ですか、その中でお仕事をされていたということですが、ほかのお二人の方の病状、これは病気じゃないですから、この現在の状況、それと、現時点、政府が発表している被曝者の総数ですね。
○小林元君 私もこの核燃料物質の、これは昭和五十九年六月二十日ですか、この転換試験棟に関して出されました許可申請書を見させていただきました。
○政府参考人(佐藤一男君) このジェー・シー・オーが転換試験棟でやっておった作業にどこまで国がかかわるべきであったかと、そういう作業の実施についてでございますが、それにつきましてはむしろ原子力局長あたりの方がお答えは適当かとは思いますが、これの安全確保にかかわります活動につきましては、たとえ国であろうがあるいは民間であろうが、私どもとしては同じように確実に安全にこういうものが運転されるようにという目配
次に、この事故に関連しまして、いわゆる安全審査というものがあの転換試験棟についてもあったわけでございます。この間もちょっと申し上げましたが、この安全審査につきまして科技庁としてはいわゆる見落としといいますか、手落ちがなかったのかどうかというようなことについてはいかがでしょうか、長官。
現在、今回の事故において測定値により被曝が明らかになっているのは、事故時、転換試験棟において作業をしていた三名、消防関係者三名、一般住民七名、及びジェー・シー・オーの従業員、この中には関係会社も含んでおりますが、五十六名の、合計六十九名でございまして、また、水抜き作業等に従事した二十四名がございます。
その程度につきましては、作業計画の作成に当たり、転換試験棟周辺の中性子による空間放射線量率のモニタリング結果などをもとに専門家が十分に検討を行いました。 実際の作業に当たりましても、警報機能を有するガンマ線用個人線量計及び中性子線用線量計を携帯して作業に従事させるなど、作業に際して被曝線量の低減に最大限努めたところでございます。
○国務大臣(中曽根弘文君) 転換試験棟の沈殿槽における臨界状態を一刻も早く確実に停止させることが当時直面していた最大の重要な課題でございました。 臨界停止のために実行された冷却水の抜き取り作業は、作業場所が屋外であること、それから一人当たりの作業時間を限定することによりまして作業による被曝を低減することができるという観点から、当面とり得る最善の方法として実施されたものと考えております。
一八・八%という中程度の濃縮度のウランの燃料を加工する施設というのはジェー・シー・オーしかなくて、しかも転換試験棟にしかないわけですね。だから、転換試験棟というのは一八・八%のウランという、三、四%に比べればよりリスクの大きいものを扱っているんだという認識はあったんですか、なかったんですか、どうでしょうか。
そのうち、転換試験棟につきましては、平成十年四月十六日、九月三日、平成十一年三月四日の三回巡視を実施してきたところでございますが、残念ながらこの日に関しましては運転中ではなかったということでございます。
だけど、転換試験棟は小さいから見なかったと。これは私は非常に疑問なんですね。 じゃ、質問させていただきますが、転換試験棟という存在をその運転管理専門官は知っていたんでしょうか、知らなかったんでしょうか。
やはり、今回の事故は、私もジェー・シー・オーの工場に行って実際試験棟のそばに立ってみましたけれども、被害が目に見えない。目に見えないものの恐怖、事故というのはこれは私はもう大変なものだなと。例えば火事のようにもくもくと煙があれするだとか何か音が立つとかそういうものじゃなくて、見えないし音は出ない。
現在、今回の事故において測定値によりまして被曝が明らかになっていますのは、事故時に転換試験棟において作業をしておりましたこの三名の方、それから消防関係者の方、これが三名でございます。
○国務大臣(中曽根弘文君) 今回の事故におきまして測定値によりまして被曝が明らかになっておられる方々の数は、事故時に転換試験棟において作業を行っておりました三名の方、それから消防の関係者の方が三名、それから一般住民の方が七名及び株式会社ジェー・シー・オーの従業員の方、関係会社の方を含みますけれども五十六名でございまして、合計六十九名となります。
政府は、今回の臨界事故現場となったジェー・シー・オー転換試験棟の設置変更申請を一九八四年に約半年で簡単に認可していますが、その際に、臨界量や指針の整備についてどのような議論をされたのでしょうか。このような安易な認可を行い、十三年にわたってジェー・シー・オーの違法な作業を放置したずさんな管理体制の責任は重大です。長官の答弁を求めます。 中性子線は事故発生から十八時間も放射し続けました。
あるいはまた、科学技術庁の保安規定遵守状況調査というのは任意で行うものというふうにされておりまして、八四年から九二年まで八回実施されたけれども、それは、転換試験棟が稼働中だったのはわずか一回だけということでございますが、なぜウラン加工施設には今まで定期検査の義務が課せられていなかったのでございましょうか。
○政務次官(斉藤鉄夫君) このジェー・シー・オーの転換試験棟には、日下部委員おっしゃるとおり中性子モニターは設置されておりませんでした。そのかわりにガンマ線エリアモニターが設置されておりました。
今回、事故を起こしました転換試験棟におきましては、中性子エリアモニターは設置されていなかったものの、臨界事故の検知に関しましては、中性子エリアモニターと同等の機能を有するガンマ線エリアモニターが設置されておりまして、今回の事故時にはこのエリアモニターの吹鳴により従事者が退避をしたところでございます。
○梶原敬義君 次に、ジェー・シー・オーの要するに事務系の人がおる建物があり、その横にちょっと歩いたところに工場のスタッフがおるような現場があり、そしてそこを真っすぐ行って左に曲がって行き詰めたところに転換試験棟があるわけですね。
また、今、原子力防災メモリアルサイトとしてジェー・シー・オーの転換試験棟を残したらどうだ、保存したらどうだ、そういうような御質問だと思いますけれども、今後残存するウラン溶液の除去とか汚染の除去等を速やかに行いまして、私どもとしては周辺住民に安心していただくことが最優先の課題と考えております。事故施設を保存するというのは非常に難しいことではないかと思っております。
○梶原敬義君 この前、現地へ行ったときに、私ども転換試験棟のすぐそばまで行ったんですが、三人が倒れたところはどこかと、救急車が来たところは。そうしたら、現場から三人とももうちょっと違うところまで逃げてきておって、水膨れができておったとかおらないとかいう話を現場に私どもを連れていった人が言っていたんです。